遅くなりました!メキシコご報告!

カノミナミ2022年4月1日

久しぶりに更新します。

先月末、メキシコで行われたワールドカップに出場してきました。ご報告、遅くなりました。

今回はなんとかベスト64に残ることができ、2日目に進むことができました。

しかし、予選のシードが悪かったため、東京オリンピック金メダリストと初戦で対戦し、負けてしました。

個人の結果は64位、団体戦にもメンバーとして出場し、6位という結果でした。

今回は試合会場にたどり着くまでも大変でした。乗り換えのダラス空港で、滑走路が凍結したことにより、飛行機が予定通り飛ばず、13時発の便でしたが、一時間ずつ遅くなり、そのたびに搭乗口も変わり、、、という状況を何度も繰り返し、ついに18時頃に搭乗できました。が、ずっと飛ばずに1時間が経ち、2時間が経とうとする頃にやっぱり飛べないので降りてくださいとのアナウンス。「まじか。」と思いましたが仕方がなく降り、もう一度待ちぼうけました。もう今日は飛ばないのではないかと思って、ホテル取って休めばいいのでは、と吞気に思っていましたが、なんと、今日飛行機に乗れなければ、次回便は4日後と言われ、「それだったら試合終わってる!」となり、今日乗れなければ、試合に出ずにダラスからとんぼ返り、という事態になりました。

しかも目的地はメキシコだったので、みんなものすごい薄着で来ていました。しかしダラスは滑走路が凍結するくらいの寒さで外は吹雪、、、(笑)まさか乗り換え地点がこんなに寒いとは、と、とにかく寒くて震えていました、、、。

そして空港内はほとんどの飛行機がキャンセルになったため、大混雑&大行列でした。コーチたちが手分けして並んでくれ、何とかその日の最終便の航空券を取ることができました。

そしていよいよ搭乗、、、。飛行機の座席に座って窓の外を見るとさっきまで止んでた雪がまた降り始めていて、あっという間に吹雪に、、、。「あ、終わった。」と思いました。(笑)

その後も飛行機で寝ていたのですが、1時間くらいして起きるとまだ見覚えのある風景。そしてそこからさらに30分。アナウンスがかかり、飛行機の中は大歓声に包まれました。飛べる!ということでした。21時半に搭乗し、出発したのは23時30分頃。到着は深夜2時。でもとりあえずは到着できたので良かったです。結局ホテルについて寝れたのは5時ころで、明日は試合か~と思いながら寝ました。

そんなこんなで大変な旅路でしたが、何とか試合への出場権はゲットできました。

また、出発前に原因不明で腰痛がひどく、歩くのも大変なくらいでしたが、あまりにも直前で試合をキャンセルできず、ブロック注射を打ってもらい、試合に行きました。

不安要素がたくさんあった試合でしたが、結果的に一つ目の壁であった64入りができたので

何とか次につながる試合になったと感じています。

予選は2勝しかできず、ぎりぎりで通過しました。

朝8時半から試合があり、予選終了後、次の試合は14時半からだったため、一度ホテルの部屋に戻りました。(今回はホテルの中に試合会場があったため、移動が楽でした)

予選終了後はしばらく落ち込みましたが、次の試合までかなり時間があったので

冷静に考え、自分の気持ちを整理する時間がありました。

こんなことをしに来たのではない、という思いが強くなり、まだやり残したことがある、全力を出し切れていない、と冷静に考えられるようになりました。

あの時間がなければそのまま引きずって試合をして負けていたと思います。

ぎりぎりで予選を通過したこともあり、チャンスがある限り悔いのないようにやらないと、と思い、

オレグコーチからもらったアドバイスをもう一度思い出して、予選トーナメントに臨みました。

初戦と二回戦の相手は知っている選手で、なかなか厳しい組み合わせだな、と正直思っていました。

しかし、とにかくできることをやろう、という思いと、オレグコーチからもらったアドバイスを試合で試してみたいという、少し楽しみな気持ちもありました。

基本的に試合の時は恐怖心やプレッシャーが大部分を占めますが、腰を痛めていてできることが限られていたため、過度な緊張をすることなく、できる範囲であれもやってみよう、これもやってみよう、といつもより気楽にできました。

1回戦もなかなか苦戦はしましたが、最後までパニックにならず、冷静に戦えました。

2回戦の相手は個人戦で勝った記憶がなかったのですが、とにかくポイントが競った時に諦めないことと、気持ちで負けないことだけを心に決めて臨みました。

前半はかなり競って5-7と一時は離されましたが、冷静に戦術を変更し、そこから最終スコアは15-9で勝つことができました。勝った時は本当にうれしくて久しぶりに自分が納得できる試合ができました。また、今まで試合で思ったようなパフォーマンスを出せずに苦しんでいましたが、今回、練習にかなり近いパフォーマンスを出すことができ、それに結果もついてきたので自信になりました。

1日目の試合を振り返って難しかったことは、自分の戦況が不利になった時にいかに自分を鼓舞できるか、逃げないで戦えるか、というところでした。

どうしても体力的にもきつく、緊張状態で戦わなければならない中で、逃げ出したい気持ちに襲われることがあります。そこで、ここで負けるわけにはいかない、試合で勝つためだけにきつい練習もしてきているんだ、と自分を励まし、気持ちで自分を支え続けることができれば試合にも勝つことができます。昔は無我夢中でやる、という勢いで肉体的な辛さを乗り越えていたように感じます。しかし、今はいろいろ考えてしまったり、冷静になりすぎてしますことによって辛さや、苦しさを試合中に感じてしまいます。そこをもっとファイターになって無我夢中で一心不乱に勝ちにこだわってやる、という気持ちが必要だと思います。

今回の試合は自分に打ち勝って64をつかみ取ることができました。これからも64に入るのは楽なことではないと思いますが、自分で選んだ道だと覚悟をもって、肉体的にも精神的にも厳しい状況でも本来の目的と目標を見失わず、自分自身に打ち勝っていけるように頑張りたいと思います。

2日目は1日目の疲れが思ったよりも溜まっていていい動きをすることができませんでした。

そのような肉体的な疲労からも精神面が弱くなり、粘ることができませんでした。

64位と結果は納得できるものではありませんでしたが、試合をたくさんすることができ、世界ランキング1位の選手と試合をできたことで自分が戦わなければならない相手、自分が目指すところのレベルを再確認させられました。

本当に肉体的にも精神的にもまだまだ未熟だと感じましたが、もっと強くなってワールドカップでも世界選手権でも表彰台に乗る選手になりたいと強く思いました。

また、今回は団体戦にも参加することができました。

メダルが獲得できず、残念な思いはありますが、多くの試合経験が積めたことは私にとってとても大きな経験になりました。自分が苦戦する相手に対して、チームメイトはどのように戦うのか、という視点で試合を見ることで、自分の弱点が具体的に分かるようになりました。

帰国後、オレグコーチと話しましたが、久しぶりに64に入れたことをとても喜んでくれました。

オレグコーチはウクライナ人で、それこそ試合が始まる前日にロシアの軍事侵攻が始まりました。

毎日ニュースを見るたびに見てられない思いと、何もできないもどかしさがあります。私も何か助けてあげたい気持ちはあっても今はウクライナに何も送ってあげることもできず、直接の支援も難しいです。ウクライナのハリコフにあるフェンシング場も爆撃で粉々になった写真がウクライナの選手から送られてきました。

そのような状況を見るとやはり、他人ごととは思えず、ショックでした。自分と同じように毎日過ごしていた人が、突然爆弾や銃撃、侵攻の恐怖に怯え、いつもいた場所が粉々になる状況というのは想像できる範囲を超えています。

フェンシング界では有志で彼らを支援する会が立ち上げられ、オレグコーチ、サーシャコーチ(エペのナショナルチームコーチ)の支援が始まっています。今後の生活再建にはかなりのお金が必要だと思います。ただ、お金だけで解決できる問題でもなく、本当に彼らは心を痛め、不安の中にいるので、今は多くの人が、応援して、支援しているよ、と支援者の気持ちがコーチたちや彼らの家族に届くことで少しでも彼らの心の支えになれればいいな、と思っています。

▼支援サイト

▼支援サイトURL

https://www.help-oleg-sasha.org/?openExternalBrowser=1

▼ハリコフの練習場

私も今自分がやるべきことをやりながら、この問題にも一人の人間として向き合い続けていきたいと思います。

オレグコーチはキエフに家族がいて、今はハンガリーに無事逃げられたみたいですが、オレグコーチのお母さんは高齢のため、キエフに残って地下のシェルターで生活をしていると話していました。

そんな中でも私の結果を喜んで、オレグコーチの家族も私が久しぶりに64に入ったことを喜んで応援してくれています。ここからパリオリンピックまでオレグコーチを信じて二人三脚で頑張っていきたいと思うと同時に私もオレグコーチや家族の励みになれるように自分のできることを頑張りたいと思います。

試合が始まる前日の2/24、ロシアによる軍事侵攻の影響で、試合が開催されている3日間にも大きな動きがありました。

まず、通常は1日目の予選を通過すると、2日目の試合は配信があるのですが、それが中止になりました。

自分が生きている間に戦争に直面するということを想像もしていなかったので、実際にこのような状況になり、正直フェンシングをしている場合なのか、と悩むところもあります。今大会に、ウクライナの選手も出場しておらず、今はロシアの選手も参加できていません。ですが、現在も試合は開催されており、他の種目の選手は試合に出場もしています。

政治とスポーツは違うと言いますが、ロシアがしていることは容認できないことで、ひとりひとりの意見が尊重される現代の世の中で、スポーツ選手としてではなく、一人の人間として声をあげ、自分の意見を主張することは大事だと思います。今大会でもフランスはロシアとの試合をボイコットし、SNSにウクライナを支持します、と出していました。また、アメリカチームはロシアとの試合で写真のようなシールを椅子に張り、抗議していました。各国の選手の発信力、というものを目の当たりにし、日本はやはり後出し、多数派支持の国民なんだな、と感じました。

▼アメリカのチームベンチ

私がSNSで軍事侵攻について投稿するとあまりそういう発言はしないように、と言われました。FIEの会長がロシア人(今は職務停止中)なのでいろいろな忖度がはたらいたのだと思います。

海外の選手の自分の意見に自信をもって自由に発信できる、もちろん、その発言の責任は自分で持つ、という覚悟も肝が据わっているな、と関心しました。今回の件で、日本はもっと、単純におかしいことはおかしい、間違っていることは間違っている、と忖度なしに正しく発信できる国、国民性にならなければいけない、と感じました。

4月12日からまたワールドカップに行ってきます。セルビア、ドイツに行き、5月3日帰国予定です。

様々複雑な状況ではありますが、まずは安全に、そして自分がやるべきことを悔いなくやってこれるように頑張ります。

いつも応援してくださり、ありがとうございます!!!